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サムネイル 非公開│水平線を飛び越えて

俺か種田さんのどちらかが引退する頃に投稿されます

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この記事は、種田梨沙さんの休養と「アイドルマスターミリオンライブ」について、ずっと思っていたけど言えないことを書いた掃きだめみたいな記事です。

まずは種田梨沙さん本人に、この場を借りてお詫びします。この記事にはご本人を傷つける意図は一切ございませんが、本当にごめんなさい。

続いて、これを読んでいるプロデューサーのあなたと、ミリマス関係各位の方々にお伝えいたします。
先述の通り、ここから先は極めて不適切な表現を多用しております。少なくとも3日間くらいは心のどこかに残る程度の傷は負わせてやりたいと思っています。
あらかじめお詫び申し上げます。

なお、休養の頃のみつしょうくんは小6。当時のことは知りません。インターネットに残る断片的な知識しかないため、解像度はとても低いものです。そんな奴が書くなよと思われた方もいらっしゃると思いますが、逆にそんな人間でも違和感を感じていることがあるということでお許しいただければと思います。

適材適所、二度付け禁止

最近は、極めて現実性の高いところで「シナリオ性」を求めることが多いと思います。バンドのオタクが口を開ければ「このグループの魅力はシナリオなんだ」だの言ってますし、恋愛リアリティーショーみたいなものもhuluとかでいっぱい配信されてます。

なんとなく、そういったものに惹かれる理由はわかります。自分の推しを楽しむ要素がひとつでも増えれば楽しさも比例する訳ですし、ひとつの物語として捉えるというのもなかなか良いものかもしれません。

しかし、それは必ずしもすべてに当てはまるとは限りません。100%作り物の世界ならまだしも、対象は現実に近い世界であり、そこに物語を見出しているのはプロの脚本家ではなく、我々というしがないファンです。

今回は、そんなちょっと着色されたコンテンツで困惑してしまったバカの脳内を覗いていただければと思います。

「琴葉ちゃんが今、劇場に到着しました!」

Pixiv辞典でこれを見かけたのがはじまりでした。

ミリオンライブって本当に良いコンテンツだと思います。曲も豊富で飽きないし、キャストや陣営の熱意も高く、ファンの民度もすこぶる良い。文句のつけようがありません。

私もそれなりに好きで、ライブやらイベントやら、何かと楽しんでいた気がします。以前どこかの記事で「ミリオンは特別嫌っていた訳ではない」と言った気もしています。

残念ながらアレは嘘です。特別嫌っていました。今も嫌いです。

種田梨沙の休養がシナリオとして一部に組み込まれているということが、どうしようもなく無理だからです。

確かに仕方ないと思います。規模も大きくて、常に動いているようなコンテンツですから、話題に触れられない訳がない。

でも、その離脱と復帰を、数年たった今でも定期的に掘り返しているのが理解できません。そして、なんだか胸熱な出来事という一つの物語として発展しているのも気に食わないのです。

先述した通り、自分は種田さんが休養していた時期はまだオタクではないので、当事者というわけではありません。もし当時にオタクをしていたのであれば、きっと復帰で感動はしていたと思います。

でもそれは当時の話。もう乗り越えたものですから、それを引きずってはならないものだと思っています。

当時、種ちゃんがどういう想いでいて、それをどう乗り越えたのかは我々にはわかるようでわかりません。だからこそ「感動」という評価は、あまりにも自分たちのことしか見えてなさすぎるのではないか思います。

そしてそれを何年もいちいち擦るのはいただけないというか、それはもはや種田梨沙を見ているのではなくて「シナリオ」を読んでいることに過ぎないと思います。当時なら許されても、それから何年も経った今と言う節において、休養で種田梨沙と田中琴葉を語るような人は、正直失格ではないかと思います。

最後に合流したアイドル

しかし、ミリオンライブというコンテンツにおいて、休養は田中琴葉を語るうえで高確率で触れるものとなってしまいます。

ここが今回の記事の核となる部分ですが、田中琴葉の話をする際に、いちいち休業関連の話が付いて回るのは勘弁してほしいです。だって、別に休業が理由で田中琴葉の担当をしているわけではないから。

休業を経て、それでも立ち上がった種ちゃんは本当に強いと思うし、尊敬します。自分だったらきっと諦めてしまっていたと思うから。

でも、もし種ちゃんが喉の病気を発症せず休養しなかったとしても、好きになっていたと自信を持って言えます。僕が好きなのは、それよりももっと根源的なところ。本人そのものが好きだからです。

田中琴葉で言えば、演技が上手くて、とても真面目ところ。

種田梨沙さんで言えば、美人さんなのに、ドジエピソードが湧くほど出てくるし、しかもオタクなところ。

こんなの当たり前な話ですが、ちゃんとそれぞれ好きなところがあって琴葉の担当をしているわけだし、種ちゃんを応援しているわけです。

だからこそ、ちゃんと好きなところがあるからこそ、休養のときの話がそれなりの体積を占めているミリオンライブに対しては、とても悔しく感じます。もっとそのものを見てほしいと心の底から強く思います。

田中琴葉を布教するにあたって休養の話を持ち出すような人は、そういう考えが欠落しているのではないかと思います。

入り口が休養だったとしても、そこから田中琴葉にハマったのであれば、そこには必ず他の理由がある。逆に言えば、そこ止まりの人は田中琴葉の担当と言えないような気がします。担当として語るなら、もう一度考え直す必要性があるでしょう。

きっと、休養の話を一切出さなくても語り切れるはずです。4thライブを、ミリシタでの合流を上書きできるほどの魅力を、田中琴葉と種田梨沙は持っています。

そして一番意味がわからないのは、ミリオンライブ運営です。あれは何を考えているのでしょう。いちいち匂わせてきて意味が分かりません。自身の求める、もしくは求められた感動をいち声優に重ね合わせて勝手に気持ちよくなってるのでしょうか。

それは世間一般では「偽善」と呼んでいます。そしてその偽善が正当である、としているプロデューサー各位も、正直同じくらい恐ろしいです。

ひらひらと舞う言の葉

正直、この話題はとてもデリケートなものであると思います。賛否両論であるべきだし、この記事だって叩かれても文句は言えないと感じています。

休業の話題を出してくる人がいるのはミリマスだけです。少なくともペタルの間では聞いたことがありません。

誰も話に持ち上げない、持ち上げる必要もない。みたいな空気だったと思います。腫れ物に触れるかのような、暗黙の了解みたいな節も少なからずはあったとは思いますが。

どう転んだって100%の支持は得られない。一番ダメになってはいけない大沢事務所ですら日和ったことを、「物語のひと枠に組み込む」という形で言及したのがミリマスです。36人+1人のライブ、合流の遅れ。「感動」という心に訴える手法で支持の割合を少しでも増やす。それがバンダイナムコの指針だったのかもしれません。

そしてそれは、実際に成功したと言っても良いでしょう。数年が経った今でも感動ストーリー、ミリマスの歴史と評価され、「1人も手放さない」の具現化と称えられています。

noteで流れてきたAct-4のレポートでは、90%くらいの確率で休養に言及している方がいた印象です。正直笑いました。これが公式で答えを出した結果と言うか、弊害なんだろうなと思いました。

もちろん、10周年でかつ忘れ物だった「全員集合」だからという意見はごもっともだと思います。僕はそのうちのほとんどを知らないので、それを見て笑うなんて失礼な話です。

それでも、この手の話題に言及するのってちょっと勇気が要りませんか、と思っています。

先述した通り、これはとてもデリケートな話題であり、とても神経を使うことである気がしています。「種田梨沙の休業」という話題で見当違いな発言をして、あらぬ方向に物事が進んでは目も当てられません。

なら書くなという話ではあるのですが、本当にその通りで、言わないことが一番の正攻法であるとも思っています。

しかしそれがミリオンになると話が違います。「種田梨沙の休養がシナリオに組み込まれている」という時点でもう言う必要はないかと思いますが、言及することはそこまでカロリーが必要ではないように思われます。

これは物事の重さではなく、誰かの感情に配慮するという行為が必要ではないという点にあります。休業と復帰が「感動」ストーリーであると、ファンの中での共通見解がある。あらかじめ着地点が用意されている内容なんて、書くには易いです。

これが公式が答えを出した結果。言及することへのためらいが、他と比べて少ないという弊害です。

これによって、ちょっと些細な出来事でも「これはエモい演出なのではないか」という考察が、そのままnoteに綴られる超常現象が起きています。もはや受け取るのではなく掴み取りに行っているような、粗探しに近い行為なのではないかと私は思っています。

もちろん語ることのすべてがダメという話はしていません。しかし内容を吟味することはとても大切で、言わなくていいことは言わないというのは、文字をつづるうえで大事なことだと思います。そして、いくら黙っていても許されるというのは、この手の話題において我々個人だけが持ち合わせている大きな武器です。

着地点があらかじめ決められた葉たち。舞うのは勝手ですが、それが舞えば舞うほど木はどんどん貧しく、薄くなっていくというのも、知るべきことかもしれません。

Cheer For You!!

記事もこれで終わりなので、もう一度言います。

休養と一連の動きがあったから、田中琴葉と種田梨沙を担当/推していたわけではない。

オタクの長いひとりごとにお付き合いいただき、ありがとうございました。

この記事を書いた人

みつしょう

写真と旅行が好きな限界大学生。

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